ワークプレイスラーニングについて考える。

OJT??

ワークプレイスラーニングについて考える。

ロミンガー社のマイケル・ロンバルドとロバート・アイチンガーは、個人の能力開発が、実際にいかに起こるかについて、70/20/10の公式なるものを提唱した。

引用元: 落日のOJT「神話」を捨て去るときが来た|高橋潔 「脱」ガラパゴス人事|ダイヤモンド・オンライン.

「70/20/10の学習コンセプト」という考え方がある。学びの70%は実生活や仕事における経験から。20%は他者からのフィードバック、メンタリング、コーチングから。10%だけがフォーマルなトレーニングから。

そういったことからOJTがぴったりだと思われがち。でも、実際の現場ではOJTが行き届いていないというのはよく聞く話。若手を育てる余裕が上司や先輩社員になかったり。逆に配属されたばかりの若手も経験を通じて学ぶどころか、つぶれちゃつとか。現場での人材育成がうまくいっていない。

じゃあ、ソーシャルラーニングという考え方がありじゃないのか。実際の現場レベルで様々な疑問や課題を互いに共有しあって、解決しながら、それぞれに自分のものにしていく。仲間どうしのフィードバックやメンタリング。上司からのコーチング。素晴らしいじゃないですか!

ところがどっこい(ふるい)、職場でソーシャルラーニングのコンセプト通りに自発的に、自律的に学び続ける人はほんの一握りではないでしょうか。実感値として一桁パーセントもいないくらい。ましてや組織でそれを実践できるところは、相当な大人な組織というか、素晴らしすぎる。

ソーシャルラーニングの考え方も、OJTの考え方も、人が学習し、成長するためにはめちゃくちゃ重要な考え方だと思います。でも、それを本当に誰もが勝手に実践できるのかといえば、答えはNOです。

社内の情報共有を活性化して、生産性を高めようと社内SNSを導入しようとして失敗するのとどこか似ている。

各自が主体的に学び続け、互いに学び合い、結果として生産性向上する。そういった風土、文化をつくっていくためには、きっと第三者の関与が必要だし、負担なくそれを実現するための仕組みも必要だし、たくさんの仕掛けも必要。ある意味、それがまさしくワークプレイスラーニングの環境をつくっていく第一歩だと思う。

先日、ちょっと悔しい思いをしたことがあります。ある会社で理念浸透のプロジェクトの一環としてうちの会社のサービスをつかってくれていたところで、失敗ではないが、1~2名のまったく関与しない社員の方のために、途中で頓挫することになった。経営層の方とお話をすると、「うちにはまだそういったことを強制することができるほど文化ができていないから仕方ないのかもしれない」と言われてしまったこと。

サービスをただツールとして提供しているだけでは、どうにもできない。やっぱりちゃんと成果を出してもらうためには、うちの成功パターンをしっかり提案して導入してもらうことが必要だ。その思いが強くなった案件です。

世の中には、ほんと素晴らしいラーニングツールやコミュニケーションツール、グループウェアなどがたくさん存在していますが、やっぱりどれもこれもツールに過ぎない。結局は人。

そしてワークプレイスラーニングの考え方って、いろんな方面でコンサルチックに難しく捉えられたり、大げさになっている部分もあるけれど、もっと身近で、それぞれが楽しくできるものだと思うのです。

ブラ・トヨ

ブラ・トヨ について

真面目にゲームやアソビの利活用を研究中。 行列と渋滞が苦手。締めのラーメンは食べません。野球は観るのもするのも好きな元テニス部員。妄想と空想と現実の狭間で過ごす。時々ダークサイドが露出しますが許してください。