阪神大震災からもう18年も経つのですか。

kobe tower

Kobe Port Tower 2004

今日が終わる前に、少し18年前のことを振り返ってみる。1.17もやはり忘れてはいけない出来事ですし、風化させたくないですからね!

私はその頃、小学校の6年生。倉敷から神戸に転校してまだ1年経っていない頃でした。

確か前日に、いまはなき「ポートピアランド(現在はIKEA神戸店がありますねぇ)」に家族と同年代の親戚と遊びに行っていました。そしてその夜、なぜかめっちゃ親が夫婦喧嘩(苦笑)家族3人が別々の部屋で眠っていました。

ちなみに母は、その日は妙な地鳴りがずっと聞こえていて、なかなか寝付けなかったそうです。

朝方、突き上げるような揺れと、どれくらい揺れたか分からないくらい長く感じた大きな揺れが続く。私はどうやら途中で目が覚めたが、背丈より大きな本棚がちょうど自分に覆いかぶさるように倒れてくるところで咄嗟に顔面をガードしたことを覚えています。

何が何だかわからんかったよね。

そして震度7の激震でも、一度も目を覚まさなかったオヤジさん。どうやら「泥棒が入った」と勘違いしながら「なんや!痛っ!!」とか何かにつまづきながら、奥の部屋からこちらに向かってくる。途中オカンとも合流した模様。本棚を持ち上げてもらい、脱出。

着の身着のまま、マンションの外へ。既にガス臭い。周りの木造家屋はみんな倒壊。隣の友達の家もうちのマンションに倒れかかって来ている。同級生家族やご近所さんが冬の早朝にパジャマだけでうろうろしている状況。既に何人かが救出作業をし始めていたような。

その後少し記憶が飛んでるんですけど、徒歩5分の場所にある神社の駐車場にある車まで最低限の荷物を引っぱりだして向かったような。途中、大人の男出たちに混じって、オヤジさんは救出活動。

私とオカンは車でエンジンをかけて、なんとかつながったラジオを聞きながら、経過をうかがっていた。確か。途中、何度も大きな余震。

その後は食べ物や水の配給のためにあっちこっちまわったり、近所の親戚一同がワンちゃんたちも一緒になんとか丈夫で全壊を免れたうちのマンションを避難所代わりに使ったり。中学校に入ってからも、大規模な避難所になってたもんだから仮設校舎で授業を受けたり、グラウンドがないから部活もままならぬ状態で、近所の公園で素振りをしたり、自衛隊のお風呂があったり、テントだらけだったり。

いろいろ思い出されるなぁ。

ちょっとあの頃を思い出して情景を整理してみました。

今は、その後に生まれた私の弟と妹がいたり、私にも子どもがいたり。何かとても不思議な気分です。

 

ブラ・トヨ

ブラ・トヨ について

真面目にゲームやアソビの利活用を研究中。 行列と渋滞が苦手。締めのラーメンは食べません。野球は観るのもするのも好きな元テニス部員。妄想と空想と現実の狭間で過ごす。時々ダークサイドが露出しますが許してください。