「遊び」の対極は「仕事」ではない。

遊びは前向きなもの

遊びの対極にあるのは仕事ではなく、絶望である。(ブライアン・サットン-スミス引用、ジェイン・マクゴニガル著 Realty is Brokenより)

仕事と遊びって、本来、似ているところがあると思う。夢中になるという点でもそう。あと、前向きにゴールに向かって突き進むものであるはずだから。これがやらされている感があれば、それは楽しくない。つまり遊びじゃないということ。

Lego Bricks © by bdesham

医学的な定義によると、抑うつ状態になると、前向きになれなくて、自信の無い悲観的な気持ち、活気のない沈んだ気持ちに苦しめられるそうです。まさしく遊びが無い状態なのかも。

この状態を跳ね返すためには、自分の能力に対する楽観的な気持ちを高めて、活動への爽快な高揚感を得る何かを見つける必要がある。

ちょっと意味が違うけど、以前APO研で話題になっていた「遊び」が企業組織にも必要だという話。遊び=成長のために必要な余力のようなもの。企業内で合理化という名目のもとに“ムダ”と言われていたもの。それって実は個人にも当てはまるのかもしれないですね。

そういえば、話の中でのことですけど、自分自身を振り返ってみて、自分は組織に合わないなと思うのです。組織に属し、それなりに期待されて、それなりにかなり頑張って、それなりの成果を出したりしても、どこかに冷静な自分が居て、こんなことやっててもなぁとやたらクールに自分のことを見ていたりする。

でも、何らかの自分の夢だとか野望だとかに合致していて、自ら前向きにやりたいことをやっていたり、切り開いて行っている時というのは、そんなことをいちいち考える必要も無いし、出て来ない。それ以上に必死にならざるを得ないのかもしれないけれど、ゲームだって、遊びだって、本気でやっちゃいますもんね、無意識に。

ある意味、中毒的に。

学生の頃の、あの何とも言えないアドレナリン出っぱなし状態に近づいている気がします。なんであんなに無尽蔵な体力のもと、いろんなことに手を出して眠る暇も惜しんでできたんだろう。もっと幼い頃を思い出すと、なんでブロックや人形があればあんなに何時間も遊んでいられたのだろう。このあたりに手がかりってありそうな気がする。誰でもそういう時期ってあったんじゃないかな。

でもそろそろ眠ります〜。

ブラ・トヨ

ブラ・トヨ について

真面目にゲームやアソビの利活用を研究中。 行列と渋滞が苦手。締めのラーメンは食べません。野球は観るのもするのも好きな元テニス部員。妄想と空想と現実の狭間で過ごす。時々ダークサイドが露出しますが許してください。